東京高等裁判所 昭和26年(う)3192号 判決 1952年2月27日
控訴人 被告人 堀良光 外一〇名
検察官 中条義英関与
主文
本件控訴は孰れも之を棄却する。
理由
被告人堀良光の弁護人小川清俊の控訴趣意は本判決末尾添附の控訴趣意書及び控訴理由釈明書に、被告人堀正光の控訴趣意、被告人八木秀二の弁護人太田耐造及び同玉沢光三郎の控訴趣意、被告人青木襄文及び同太田貞蔵の弁護人小渊方輔及び同永田菊四郎の控訴趣意、被告人森田春平、同杉本健一、同池謙、同白井五郎、同森田関治郎の弁護人双川喜文の控訴趣意、被告人川村清一の弁護人太田耐造及び同玉沢光三郎の控訴趣意は本判決末尾添附の各控訴趣意書に夫々記載のとおりであるから、これらについて判断する。
三、被告人八木秀二の弁護人太田耐造及び玉沢光三郎の控訴趣意第一点、被告人堀良光の弁護人小川清俊の控訴理由釈明書記載の控訴趣旨第五点、被告人森田春平、同杉本健一、同池謙、同白石五郎、同森田関治郎の弁護人双川喜文の控訴趣意第一、二点
原判決が本件犯行認定の証拠として(イ)徳田勝の検察官に対する供述調書(同判示の証拠の標目一、2)及び(ロ)証人徳田勝に対する裁判官の尋問調書(同一、3)を引用していること、右両調書は原審第九回公判期日(昭和二六年一月二九日)に検察官から証拠として取調を請求されたものであるが、そのうち右(イ)の供述調書は、昭和二五年八月二六日福岡地方検察庁において検事取調の際作成され、右(ロ)の尋問調書は捜査方法として検察官の請求により同年九月四日福岡地方裁判所において裁判官の尋問により作成されたものであり、共に本件第四回公判期日と第五回公判期日との間に本件の被告人又は弁護人の立会なくして取り調べられたものなること、而してこれらを証拠とすることに対しては本件弁護人等は孰れも異議を唱えたが、原審は右(イ)供述調書は刑訴法第三二一條第一項第二号に又(ロ)尋問調書は同條項第一号に各該当する書証として採用したものなること孰れも各所論のとおりである。
然し、先ず、右(ロ)の徳田勝に対する証人尋問調書は、前記の如く田中新蔵に対する関税法違反被疑事件に対する捜査方法として為されたものであるから、その取調日時が本件の第一回公判期日前たると否とは、同調書の本件に対する証拠能力の存否に無関係である。而してその供述は特に任意性を妨げられたとみるべき証跡もなく且つ原審第五回公判調書記載に係る証人徳田勝の供述とは相当相違する点が見られるから、右(ロ)の尋問調書を本件に対する刑訴法第三二一条第一項第一号該当の証拠として採用することは違法ではない。而して亦憲法第三七条第二項にいわゆる証人の審問とは当該事件の公判準備又は公判の手続に於ける証人取調を意味し、捜査方法としての証人の尋問については当該事件の被告人や弁護人すら立会及び尋問の機会を与えられるや否やは受任裁判官の裁量に委ねられているのであつて、まして別件たる本件の被告人や弁護人にこの機会が与えられなかつたことは何ら違憲の措置ではない。
次に、前記(イ)の供述調書は、その記載内容が本件の原審第五回公判調書記載の証人徳田勝の供述とは実質的に相当相違することを認められ而もその供述に際して任意性を害された形跡も別段見受けられないから、これも刑訴法第三二一条第一項第二号により本件の証拠とすることは所論のような違法を来すものではない。
論旨は孰れも理由ない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 佐伯顕二 判事 久礼田益喜 判事 武田軍治)
被告人堀良光の弁護人小川清俊の控訴趣意
第五点徳田勝の昭和廿五年八月廿六日付福岡地方検察庁係官に対する供述調書同人の同年九月四日付福岡地方裁判所の証人尋問調書の各証拠能力には異議がある。即ち右各調書の同人の証言は原審の公判期日に於て尋ねた同人の供述と異り被告人良光のため不利益である。本調書は何れも同人の原審に於ける証人としての直接尋問終了後に提出せられ其の記載事項に付き証人たる同人に対し弁護人に反対尋問を為す機会を与えなかつたので其の証明力が欠けている。
被告人八木秀二の弁護人太田耐造、玉沢光三郎の控訴趣意
第一点原判決は証拠とすることのできない書面を証拠として採用し断罪の資料に供した違法がある。原判決が有罪認定の証拠として掲記している徳田勝の吉永検察官に対する供述調書及び同人に対する家弓裁判官の証人尋問調書は原審第九回公判調書の記載によれば前者は刑訴第三二一条第一項第二号後者は同条第一項第一号の書面として検事より提出され、これに対し弁護人側より異議の申立をしたところその申立は排斥され前記各条項に該当する書面として夫々受理されるに至つたのであるが右両調書はいずれも以下記述する通り法律の要件を欠くため証拠能力のないものと確信する。
原判決が証拠に供した吉永検察官調書は刑訴第三二一条第一項第二号但書の「公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る」との条件を具備していない。蓋しこの条件は調書の内容又は供述自体が信用すべきであるか否かを問題とするものでなく、供述又は調書の為された際の情況を問題としていることは文理上明瞭なところである。公判準備又は公判期日において供述が為される場合には証人に対しては宣誓をさせ且つ偽証の罰及び供述拒否権を告知するなど証言の信憑力を確保する手段を講じた上尋問するもので、従つて、その供述はかかる保障のない検察官の面前における供述よりも一層「供述を信用すべき」情況のもとに為されたものと思考すべきが当然であるが他方また供述のなされた検事廷と公判廷との情況の相違は被告人及び弁護人の立会いの有無、公開か否かの点に専ら存じて居り、立会及び公開を欠く検事廷の情況が何等特段の特異情況の存しないにかゝわらず「信用すべき特別の情況」と云うならばその考え方は糾問式刑事方式に通じ旧予審制度の復活の危険を包蔵する危険な思想であり絶対に採用すべきものでないことは自明であろう。記録を閲するに徳田勝に対する吉永検察官調書が同人の公判廷における供述よりも信用すべきであるとの「特別の情況」は何一つ存在していないし又「特別の情況」は検察官により立証さるべき筋合であるのに本件の場合にはこの立証は少しもされていない。従つて徳田勝に対する吉永検察官調書は法定の条件を欠除するため証拠能力がなく採用すべきでないこと明らかであるにかかわらず原裁判所がこれを受理し断罪の資料に供しているのは明らかに違法であると信ずる。家弓裁判官の証人尋問調書は被疑者田中新蔵に対する関税法違反被疑事件について検察官吉永透の刑訴第二二七条に基く請求により同法第二二八条に準拠して作成されたものである。
抑刑訴第二二七条は検察官其の他の捜査機関の取調に対して真相を供述した参考人が被告人側の圧迫により公判期日においてその供述を飜す虞のある場合に裁判官の面前における供述として刑訴第三二一条第一項第一号後段の規定によりその供述の証拠能力を確保せんための特別規定である。この裁判官の面前における供述録取書の証拠能力は公判中心主義、直接審理主義の例外をなすもので、しかも被疑者又は被告人若しくは弁護人の尋問立会権は保障されていないのであるから憲法第三七条第二項前段には必ずしも合致しない規定でありこれが解釈の如何によつては旧予審制度復活の虞すらなしとしないものである。さればこの証人尋問請求権については捜査機関の取調に対して(一)任意の供述をした者が公判期日に圧迫を受け前にした供述と異る供述をする虞があり且(二)その者の供述が犯罪の証明に欠くことができないと認められる場合に限り、しかも(三)第一回の公判期日前においてのみ許容され、更にその請求にあたつては検察官に対し証人尋問を必要とする理由及び犯罪の証明に欠くことのできないものであることを疎明する義務を負わせるなど厳格な制度を附しているのである。しかし前に捜査機関に対し供述したものが圧迫のため公判期日に証人として出頭した際前の供述と異る供述をする虞があるかどうかはその供述者(即ち証人)と特定の被疑者又は被告人との相関関係においてのみ判断さるべき問題であり又その供述が犯罪の証明に欠くことができないものと認められるか否かの点も同様その供述者と特定の被疑者又は被告人に対する当該被疑事件又は被告事件との関聯においてのみ考量せらるべき性質のものである。更に第一回の公判期日前に限るとの条件も特定の被疑者又は被告人に関する当該事件の第一回公判期日を指すものであることも文理上疑問の余地がないところである。本件の場合において家弓裁判官の証人尋問調書は被疑者田中新蔵に対する関税法違反被疑事件につき作成されたもので被疑者田中新蔵に対する関係においては格別本件各被告人等の本件被告事件について刑訴第二二七条の各条件を充たすものとして検察官より尋問を請求した事実は勿論裁判官において右各条件を具備する請求としてこれを受理し証人尋問をした形跡はいづれも全く認められない。又検察官の尋問請求は本件被告人等を被疑者又は被告人として指示していないのであるからこの証人尋問においては本件被告人等は刑訴第二二八条第二項の尋問立会の期待権すら完全に奪われているものと謂い得る。従つて右の証人尋問調書は右田中新蔵に対する関税法違反事件に関し証拠能力をもつているか否かは別として、本件被告事件については適法な書面ではなく刑訴第三二一条第一項第一号後段による証拠能力を有しないものと確信する。しかも、刑訴第三二一条第一項第一号後段による書面であるためには公判廷の供述が「前の供述と異つた供述」でなければならないこと勿論であるが、この証人尋問調書については果して公判廷における徳田勝の証言と異つた供述が為されているか否かについても疑問がある。この調書は前記の通り被疑者田中新蔵の関税法違反被疑事件の証人として徳田勝を尋問した証人尋問調書であつて証人徳田勝はその際において原審公判廷における証言においても田中新蔵自体の犯行に関しては殆ど同一の証言をしており実質的には相違する供述は認められない、両者の間における供述の相違は田中新蔵についてではなく本件被告人堀兄弟、八木、青木、太田等の行動に関して存しているに過ぎない。家弓裁判官調書が被疑者田中新蔵につき徳田勝の証言を求めたものに過ぎない以上、右法条に所謂「前の供述と異つた供述」と云う要件は被疑者田中新蔵の行動に関する供述に限定せらるべきであり、その他の枝葉末節のものに及ぶべきではない。蓋し、尋問及び答弁は専ら田中新蔵の行動に集中されその点については或程度の正確さを期し得る他の点については必ずしもこれを期待し難く、他方判事及び証人はその際田中新蔵以外のものの証拠にこれが供されることを考慮していないからである。右の点からもこの証人尋問調書は証拠能力のないものと信ずる。
敍上訴訟手続の違法は明かに判決に影響を及ぼすものであるから 原判決はこの点において破棄を免れないと思料する。
被告人森田春平、同杉本健一、同池謙、同白井五郎、同森田関治郎の弁護人双川喜文の控訴趣意
第一点原判決は証拠能力のないものを適法な証拠調をすることなく証拠として採用した違法があつてその違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである。即ち原判決はその第一乃至第四事実の証拠として証拠標目一の2「徳田勝の検察官に対する供述調書」を採用している。そして徳田勝の右両調書採用の経緯は第九回公判において(記録七九六丁)検事より「尚法廷に於て証人として供述した徳田勝の供述は徳田の検察官に対する供述と実質的に異つて居る。それは田中が海人草を採取して居つたと言うことは推定されるが物資を持出して砂糖等と交換することは関税法から言つて認められて居らないところであり之を徳田は砂糖を持つて来ることを前から計画して居つたと検察官の前では述べて居る、この供述の方が信用すべき特別の状況の存するものであるから刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号に依り一、徳田勝の検事吉永透に対する供述調書、尚前同様の趣旨に於て刑事訴訟法第三百二十一条第一項第一号に依り二、徳田勝の家弓裁判官の面前に於ける証人尋問調書の各取調を請求した」これに対して「各弁護人は右各書類の取調には異議があると述べた」が「判事は、検事が取消を請求した右一、の書類は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号、二、については同法第一項第一号に各該当するものと認め之を受理する旨決定を宣した」のである。
元来本件第一回公判期日は昭和二十五年二月十日であるが、同年五月二十二日第四回公判後、同年七月十七日附検事から原審裁判所宛証人徳田勝の尋問請求書(記録三三六丁)が提出せられ、同裁判所は同年八月十六日附決定(記録三五八丁)主文第一項において「証人徳田勝を昭和二十五年八月二十六日午前十時福岡市福岡地方裁判所に於て直接尋問の方法によつて尋問する」旨を決定した。(当時同証人は福岡刑務所未決監在監)よつて本弁護人は同年同月二十一日附(記録三九九丁)徳田勝証人尋問事項を提出したのである。然るに原審裁判所は全弁護人の意見を求めることなく突然同年同月二十三日附決定(記録四〇四丁)を以て「昭和二十五年八月二十六日午前十時証人徳田勝を、福岡地方裁判所において尋問する期日の指定はこれを取消し、右証人は昭和二十五年九月十二日午前十時の公判期日に当裁判所において尋問する」こととし、同年九月十二日の第五回公判において徳田勝の証人尋問が行われたのであるが、以上の経過は本件記録上明白である。而して注目すべきことは徳田勝の前述の両調書は此の証人尋問期日が変更された後尋問される前において作成されたという事実である。即ち同人の検察官に対する供述調書は昭和二十五年八月二十六日(記録八六一丁)福岡地方検察庁において、同人の福岡地方裁判所裁判官に対する尋問調書は同年九月四日同裁判所において検察官の請求により作成されたものである(記録八七八丁)その後前述の通り原審第五回公判において同人を証人として検事の主尋問が行われ、同年十一月二十八日第八回公判に於て同人に対する弁護人の反対尋問が行われ第九回公判に到り突然前述の徳田勝の福岡地方検察庁における供述調書と同裁判所における尋問調書が第三二一条第一項により提出されたわけで弁護人にとつてはまことに意外で、されば前述の通り、全弁護人が右両調書の取調に異議を述べたが原審は之を却下して、両調書を証拠として受理した。
(一)徳田勝の裁判官に対する証人尋問調書は刑訴第三二一条第一項第一号に該当するものと認めて受理されたが、然らば同証人尋問調書は刑訴法上如何なる条項に基いて作成されたものであろうか、同調書冒頭記載によると(記録八七八丁)「被疑者田中新蔵に対する関税法違反被疑事件について」検察官吉永透名義の請求により徳田勝を証人尋問したことになつていることからみれば、同調書は他事件に関して即ち被疑者田中新蔵に対する関税法違反被疑事件につき刑訴法第二二六条又は第二二七条に依る検察官の請求に依り裁判所が証人尋問したものであろう。右両条のいずれによるにせよ、この証人尋問は被疑者田中新蔵に対する関税法違反事件については、両条所定の手続を経ている限り、当該事件の「第一回公判期日前に限り」適法であることは異論はないが問題は公判回数を重ねること四回、而も同一証人を尋問することを決定し、期日迄指定したその間に、他の裁判所で検事の請求により、本件被告人及び弁護人不知の間に作成されたかくの如き他事件の証人尋問調書が、刑訴法第三二一条第一項第一号に該当するものとして本件に流用されることが刑訴法上適法かどうかということである。
先ず、刑訴法第二二六条又は第二二七条に依り検察官が裁判官に請求して行う証人尋問は、いずれも第一回の公判期日前に限られることは右両条の明定するところである。第一回公判後ならば、同法第二九八条第一項に従い、裁判所に対し証人調を請求すべきことはいうまでもない。次に仮りに同法第三二一条第一項第一号に所謂「裁判官の面前における供述を録取した書面」は当該被告事件につき作成されたものでない他の事件において作成されたものも包含すると解しても、その供述録取書はその他事件につき他事件の第一回公判期日前に作成されたことを必要とするのみならず、本件に之を証拠として採用する以上は、本件第一回公判期日前に作成されたものであることをも必要条件としなければならない。然らずんば第二二六条及び第二二七条の「第一回公判期日前に限り」という条件は全く無視され、新法の公判中心主義と直接審理の原則はふみにじられてしまうからである。
本件の如く証人が偶々別事件被疑者と関連があるのを幸い(或は故意に別件として扱い)、本件第一回公判期日後、而もその証人尋問期日を目前に控えて、検察官請求で作成された証人尋問調書が第三二一条第一項第一号に該当する書面として受理されては、第三二〇条による伝聞証拠禁止の大原則も全く意義を失うと信ずるものである。のみならず、徳田勝は、前述のところ及び同人に対する尋問調書に依り明かな様に福岡地方検察庁及び同地方裁判所のいわゆる田中新蔵(逃亡中)に対する関税法違反事件については決して単なる参考人や証人ではなくて同人も亦被疑者であり、共同正犯たるべき被告人であつて、名を田中新蔵被疑事件に借りた同証人尋問調書は実は本件に関し第二二六条第二二七条の「第一回公判に限り」という要件を回避せんがため作成された証人尋問調書であることは同調書自体によつて判然としているのである。
(二)次に刑訴法第三二一条第一項第二号に該当するものと認めて証拠として採用された徳田勝の検察官に対する供述調書は、本件に関し作成されたものか或は被疑者田中新蔵に対する関税法違反被疑事件につき作成されたものか同調書上は明らかでないが、前述の通り検察官から原審法廷における証人としての徳田勝の供述は検察官に対する供述と実質的に異つており而も検察官に対する供述の方が信用すべき特別の情況の存するものとして提出されたものである。然しながら徳田勝の検察官に対する右供述調書作成当時、前述の通り、同人は同人に対する関税法違反被疑事件(本件と同事件であるが同人のみ福岡地方検察庁で取調中であつた(記録七一六丁)の被疑者として福岡刑務所未決監に在監中であり、本件被告人等と共犯被疑者でありながら、唯一人別件として扱われていた関係にあるのでかゝる情況下にある同人の供述の如きは到底信用し難いので、同人の供述調書を証拠として取調べることに全弁護人が異議を述べたのである。即ち刑訴法第三二一条第一項第二号但書所定の公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存することを争つたのである。この情況につき争がある以上、その存在を主張する検察官側で積極的に立証若くは疎明しなければならぬことは新刑訴法の当事者訴訟の建前上当然といわねばならぬ。而もこの立証若くは疎明はその供述調書自体によつては不能である。何となれば、事はその供述調書の内容に入る以前の問題で、もしその供述調書の内容によつて「信用すべき特別の情況」の存在を立証せんとするならばそれは問を以て問に答えるもので論理的矛盾といわねばならない。そしてこの点に関する何らの立証若くは疎明なくして前述の通り刑訴法第三二一条第一項第二号に該当するものと認めて受理する旨決定されたことは本件記録上明白である。
(三)更に徳田勝の裁判官に対する証人尋問調書及び検察官に対する供述調書が、同人の本件公判期日における供述と異るものとして、本件公判に提出された場合には、右両調書はいずれも被告人に対し反対尋問の機会を与えることなくして作成され而も弁護人の異議に拘らず採用されたものである以上、右両調書に依り不利益を受ける本件被告人等に対し右両調書につき徳田勝証人に対する反対尋問の機会が与えられるべきことは新刑訴法上当然である。然るに、前述の通り、徳田勝証人に対する尋問は第五回及び第七回公判期日を以て終了し右の両調書が提出された第九回公判期日以後は同証人尋問の機会は毫も与えられることなくして原審公判は結審に至つていることは之亦記録上明かなところである。被告人側が前述の通り右両調書を証拠とすることに同意していない以上、原審は右両調書採用後、よろしく徳田勝証人を再召喚して、同人に対し同調書に関し反対尋問の機会を与えなければならない。
新刑訴法下の証拠調とは一方的職権的な読聞けをすることだけではないのである。同証人の第五回公判における供述につき第七回公判において反対尋問の機会を被告人等に与えたのだから、右両調書につき与える必要はないという理由は到底成立しない。反対尋問の対象が異るからである。此の点から見ても、徳田勝の両調書は証拠調の手続上違法であつて、これを証拠として事実を認定することはできない。
以上述べた通り徳田勝の裁判官に対する証人尋問調書も同人の検察官に対する供述調書も共に証拠能力のないものを証拠として採用し而も適法な証拠調を経ないで事実認定の資料としたものであり、此の両調書が正犯相互間の共謀の点、従犯の知情の点の唯一の証拠である以上、原判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は破毀を免れない。
第二点仮に徳田勝の裁判官に対する証人尋問調書及び検察官に対する供述調書に関する第一点の主張が容れられないとすれば、右両調書を証拠として採用したことは憲法第三十七条第二項に違反することを主張する。同条項は特に刑事被告人に対し「すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ」ることを保障している。即ち反対尋問にさらされない供述は真実性において欠けるところがあるから、これを被告人にとつて不利益な証拠とすることを禁じたものである。然るに、前述の通り(1) 先ず同人の裁判官に対する供述調書は、原審第一回公判期日後、而も同証人に対する証人尋問期日を前にして、形式的に名を他事件に借りて被告人に反対尋問の機会を与えることなく同人を証人尋問し(2) 原審の同証人尋問終了後、第九回公判に至り、突如として同人の検察官に対する供述調書と共に提出され、全弁護人の異議を却下して受理された上、又も反対尋問の機会を与えることなく結審に至り、これを以て被告人に不利益な最も重要な証拠として有罪を認定したということは宛も予審制度の復活を思わせるものがあり、憲法が保障する被告人の反対尋問権を終始無視したものであつて、原判決は到底適法なる判決として承服し難いところである。原判決は破毀を免れないと信ずる。
(その他の控訴趣意は省略する。)